■伝統文化を保存と継承するために
このように、日本文化とは、繊細な日本人の感性と忍耐強さから生まれたものであり、その技術は決して簡単なマニュアル化をすることはできず、その“技”は人間から人間へと手渡しされる技術なのです。
もちろん、その修行は、筆舌に尽くしがたいくらいに簡単なものではないでしょう。
その厳しさに、年々、継承者は減っていっているのが現実です。
日本刀のところでも書きましたが、それでは、最後の継承者が消えたとき、そのとき日本の伝統文化はどうなるのでしょう。
しかし、伝統文化を継承するにおいて、継承者不足よりも難しい問題もあります。
伝統文化を継承するということは難しいことなのでしょうか?
『中学英語で日本の伝統文化が紹介できる』という本があります。
英語で日本の文化を紹介するという内容ですが、タイトル通り、すべて中学英語程度の言葉で紹介できています。
説明することは簡単なのです。
では、何が難しいのか。
それは「守る」ということです。
伝統のものには、今では理解できないルールやしきたりがあったりします。
それを「理解できないし、今風に変えようぜ」と変えてしまったら、それは何になるのでしょうか。
「何をいってるかわからないし、ちんたら喋ってるから」と今風の口調に変えられた歌舞伎は歌舞伎でしょうか?
「手っ取り早く沸かそうぜ」と電気ポットで沸騰させたお湯を用いるのが茶道でしょうか?
四股も踏まず、ゴングとともに開始する相撲は、相撲なんでしょうか?
そのルールには、現代人の理解を超越した「理由」があります。
筆者の子供の頃にも、相撲のもったいぶった四股を観ていて、「そんなことをしてないで早く戦えばいいのに」と思っていたことがありました。
それから幾歳が過ぎ、それが「土中の邪気を払う儀式」だったと知り、元々は相撲が神事であることをわかったとき、私の中で相撲は「ただの古いスポーツ」ではなく「守るべき伝統」へと変わりました。
他の日本武道においても、たとえそれが一般市民が参加できるようなスポーツ化されたものであったとしても、まず、道場に入る前の礼はかかしません。
これらは「神への畏敬の念」を表しています。その土地、その場所における神様への礼を決して失ってはいけない、ということです。
この「神への畏敬の念」とは、他の日本文化で必ずといっていいほど出てくる要素であり、つまりは「自分以外への礼儀」であります。そして、これは「和」を尊ぶ精神の日本人が歩んできた「他人とうまくやる技術」の考えでもあります。
伝統文化には、その国の「性格」が見えるのです。
今ではわけもわからず、形式化されたものも多いですが、こういうことからも、その時代の先人がどういうことを感じ、考えていたかを知ることができる、読み取ることすらできる圧縮された「情報」ともいえます。
継承とは、その「理由」、即ち「心」を受け継ぐものです。
そして、その「心」を世界で一番「なんとなく理解」できるのは日本人しかいないのです。
別に「日本人は優れている」からではありません。
単に、アメリカの文化を一番正しく継承できるのがアメリカ人であることと同様に当然なことだからです。
たとえば、色。
文化によって色の捉え方は様々で、日本では「green」「blue」が「青」だったり、逆に「あか」であっても多彩な表現があったりします。
味にしても、日本人の舌は繊細だそうで、5つめの味覚を発見したのは日本人だといわれています。
苔むしたただの岩に「わびさび」を感じるのは、日本人なら言葉で説明できなくともなんとなくわかりますが、外国からみればかなりのミステリアスなことなんだとか。
秋の夜長に鳴く虫の声を「風流」と心地よく感じるのは日本人だけで、あれの基本的な世界的認識は「ノイズ」だそうです。
何も前知識もなく、芭蕉の「枯れ枝に 烏の止まりたるや 秋の暮」を聞いただけで、大量の情報をイメージできるのは日本人だけです。たいていの外国人なら「それで?」と返ってくるでしょう。
これらの「何故か?」について語ると、その国の生い立ち、辿ってきた歴史や宗教観や言語学を語らなければならず、もう、それだけで数冊の本ができてしまいます。
とにかく、それだけの理由において、その国の文化はその国の人でしか守れないのです。
「伝統」とは「その国の歴史」でもあります。
「歴史」とは、学校の勉強のように時代できっちりと別れていて、そこからいきなり時間が始まるものではありません。
「その時代」が始まったのは、その時代が始まるための「その前の時代」、「その時代が始まる理由」があったからです。
江戸時代発祥といわれる文化があったとして、それは江戸時代に突然ぽっと沸いて出たものでは決してありません。
「継承」とは、その連綿と続く何代にもわたり守られてきたものを「さらに守り通す」こと、つまり、先人達が何十年何百年としてきたことに対して深い畏敬と感謝の念を持つこと、それが「継承すること」なのではないでしょうか。
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■「文化が消える」
「文化が消える」というのは、簡単に起きるものです。
若衆歌舞伎のところでも「時代によって常識は変わる」ということを書きました。
それまで何十年何百年ものあいだ常識や普通だったことが、あっという間に「異端」となることなど、人間の歴史において多々あることです。
(よくも悪くも)
決して、一部の人物が決めたことではそうなりません。
それを支持した大勢、もしくは無関心だった大勢が「常識」を変えるのです。
「だから、日本人には日本文化を守る使命と義務がある」――なんていうつもりはありません。
継承者になるための試練や修行は、やはり厳しいでしょうから。
ただし、それを「見守ること」なら、誰にでもできるはず。
それを理解する「素質」は日本人なら誰でも持っています。
「消し去る」のも「紡ぐ」のも日本人でしかできないのですから。
日本が経済大国として君臨できたのは誰のおかげでしょうか?
日本が技術立国として認識されているのは誰のおかげでしょうか?
「誰か1人」のおかげではありません。
礼儀を忘れず、約束は守り、結果を出し、信頼を得て、そして、その信頼を裏切らないように研究し、鍛錬し、それを子孫に残す。
そうしてきた何億人もの「先人」の「歴史」なのです。
いまだにちっぽけな島国である日本が世界で一目置かれているのは、その「伝統」を守り続けているからにほかなりません。
しかし、この「伝統」もいまや他のものと同様に危うい状態です。
さて、あなたが日本人なら、その「素質」があります。
「継承」しますか?
「消失」させますか?